イケメンが好きな訳じゃない、きっと

イケメンが好きな訳じゃないけどジャニーズが好きなクソDDの戯言。

担降りブログです

 

生まれて初めて!

担降りブログを書きます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6年前の担降りについて!!!!!(ひどい)(酷すぎる)(今更どころの騒ぎではない)

 

 

 

 

 

なんだか急に書きたくなったんですよね。というのも、最近改めて岩橋さんと出会えたことの奇跡とかファンになれたことの素晴らしさ(安定の重さ)とかを考えて、担降りした時の自分を振り返ったりしたら「担降りブログ書きた〜い!」ってなってじゃあ担降りからJr.担を経てデビュー組担になって自担活動休止って、これ全部書いちまえよ!!って思ったんすよね!!これぞ自己満ブログ!!!

 

以下、時間を持て余してマジ不要不急の外出控える生活つら〜って人か余程のもの好きさんだけ読まれることをお勧めします。

 

 

 

始まりは2014年4月21日。

この日、ザ少年倶楽部の収録がNHKホールで行われました。高校3年の春です。友だちが「受験に向けて一旦現場納めるから!Youも来ちゃいなよ!」って誘ってくれました(一部フィクションを含みます)。ちなみにこの友だちは今もかけがえの無いヲタク友だちです。この人が居なければ岩橋さんに出会えなかったかもしれません。ありがたや。

 

 

当時の私は一生嵐命!松本潤こそ至上!失恋ショコラティエのビジュアル最強かよ!ってヲタクでした。

物心ついた頃からジャニーズは好きだったものの、特にこの人!って感じはなく小学3年まで。花より男子を機に松本潤の沼にどっぷりハマり、大きくなったら松潤と結婚したい!結婚が無理ならジャニーズ事務所の事務に就職する!何かしら貢献したい!そんな子どもでした(ちょっとズレてんだよな)。小学校の卒業アルバムにはほぼ嵐のことしか書いていなかったと記憶しています。

"宝くじが当たったら?"嵐のCDとDVDを買う!

"どこでもドアがあれば?"嵐のコンサート会場に行く!

"未来の自分に一言"まだ嵐のファンですか?

 

 

 

 

くどい。

 

 

 

 

 

 

17歳の私は8年強、人生の半分近くを嵐松本潤のファンとして過ごしていました。

ですが、嵐命!と言いつつ上はTOKIOから下はセクゾまでジャニーズが出ている音楽番組の録画は欠かさない事が家訓のひとつ、そんな家庭だったので今考えれば茶の間DDの極みと形容するのが正しいと思います。

 

の割に当時のJr.への関心は薄く、顔と名前が一致するのはバカレア組と神宮寺勇太ぐらいでした(名前のインパクトって大事)。

 

 

 

ケンティー見たいな〜!デビュー直前のWEST楽しみだな〜!ぐらいにしか考えていなかった自分。まさかこんなことになるとは、夢にも思いませんでした。

 

収録開始直前、幕が開く前にSexy boysとして紹介された中に彼はいました。

隣で「え、今顕嵐いた?顕嵐いたよね?」って言ってたけど全然入ってこないぐらい、一人のアイドルから目が離せませんでした。

 

肌が真っ白で発光していて、髪はツヤツヤで、花が咲くような笑顔。彼の周りだけ空気が澄んでいるような、そんな印象でした。

マイナスイオンが出とるんか?なんやこの天使は?その瞬間から、もう岩橋さん以外見ることなんてできませんでした。帰りの道中も、次の日の授業中も、1ヶ月経っても2ヶ月経っても、忘れるどころかどんどん頭の中は岩橋さんでいっぱいになりました。調べるほど、知っていくほど好きになっていく。そんな毎日が楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

 

 

 

そんな日々の中で考えていたこと。

嵐のファンをやめるか、掛け持ちしていくか、岩橋さんを追うのを止まるか。

正直掛け持ちは向いていないと気付いてました。

だって激重ヲタクだから!?偏りが凄いことになるって分かってたから!!

同時に、自分の気持ちがほとんど岩橋さんに傾いている事も気づいていました。

それでも、人生の半分近く好きだった人が一番じゃなくなるとか、今までかけた時間お金、集めたグッズ、全部が惜しく思えて一歩踏み出せない自分がいました。

 

その間も、弱い自分と闘いながらブレイクダンスに取り組んでリーダーとして少し成長した姿に胸を打たれたり。歌番組に出ればほんの一瞬でも映る姿を探したり、前に立つしょうれんかいを見て悔しくなったり。

気づけばアイドル岩橋玄樹の成功を心から願う自分がいました。

 

 

慣れ親しんだ場所から降りるのが怖くて。自分の心変わりを認めるのが怖くて。もう岩橋さんを応援するしか道がないと知っていながら、ずるずると半年近くが過ぎました。

何が私に心を決めさせたのか、今となってははっきりと覚えていません。ただ、その理由の一つに櫻井翔さんの言葉があったことは確かです。

「離れていく人には二の腕が取れるくらい大きく手を振ってお見送りしたいですね(笑)」

この言葉の真理は未だに分かりません。当時の私は自分なりに都合よく解釈したんです。

「中途半端に好きでいるくらいなら、思い切り笑ってお別れしようぜ!」

そう捉えました。

 

 

 

 

 

そこからの私はすごかった(?)。

大学に進学してアルバイトを始めて。稼いだお金はほとんど学費と岩橋さんで消えていった。

サークルなんかしてる暇あったら岩橋さんに使うためのお金を稼ぎたかったし、飲んで騒ぐより、家で少クラの録画を見てる方が楽しかった。バイトがある日も試験前日でも出来る限りライブに行ったし、いつ平日の現場が来ても単位を落とさないで済むように、寝る間も惜しんでレポートをやった(結局授業中寝ることになるんですけどね)。

 

 

 

 

生きることに、岩橋玄樹の一分一秒を逃さないということに必死だった。

 

 

 

 

2015年

春。大好きだったセクボがクリエAの出現とともにバラバラになった。「次は5人で何やろう?って簡単には言えないんだよね。これがJr.の宿命。」神宮寺さんの言葉に、ジャニーズJr.ってこういう事なんだって思い知らされた気分だった。

夏。6人に初めて名前がついた。もう絶対に戻れないんだって悲しみの中に、もしかしたらデビューが近いんじゃないかって期待してる自分もいた。

初めて岩橋玄樹のファンとして足を運んだコンサートはEXシアターだった。6人はギラギラしていて、1年前よりずっと強くなった岩橋さんは、本当にかっこいいリーダーだった。

目まぐるしく過ぎていった先の秋冬は空っぽだった。VSって、そういう事?3人は負けたの?って考えては沈んだ。

 

 

2016年

春。長い冬の後、待っていたのはPrinceの冠番組という、最高のプレゼントだった。

野球大会、思うようにプレーできなかったであろう岩橋さんを思うと自分のことのように苦しかった。でも、彼の周りにいる人の温かさを感じる事ができた。

SexyZoneのツアーで"ジャニーズJr."を全うするPrinceがかっこよくて大好きだった。

KINGのMステにただの"ジャニーズJr."として出たこと、KINGがアメリカに行ったことは苦しかった。

6人で立ったステージに3人で戻ることになったけど、今考えるとそこからPrinceの物語が始まったように思える。あの時岩橋さんが流した涙の訳を必死に探したのも忘れられない出来事だった。

夏。奇跡的に当たった少クラの収録。Prince Princessの初披露があった。初めてのオリジナル曲が嬉しくて、何回も再生してディスクがダメになっても良いようにって何枚ものブルーレイに焼いて、繰り返し再生した。

EXシアターで水浴びせられたり、直接伝えることは出来ないけどって先輩への強い意志あるメッセージに心掴まれたり、かつてセクボで歌った歌が流れて泣いたり。沢山の喜怒哀楽があった。

秋。GC24の番宣で出たPON!、あの場に居た全員岩橋さんが可愛いと十分承知なはずなのに、「かわいい...」が漏れ出てしまうぐらい、可愛かった。

博多、大阪と地方での舞台。平野さんに続いてメインキャストに選ばれた3人は確実に成長していて、そこに本気を感じて私ももっと全力で応援したいって思った。岩橋さんは後に辞めたかった時期としてここを挙げているけれど、不謹慎ながらすごく儚くて綺麗で、この時の岩橋さんが私は大好きだった。

冬。進化して帝国劇場に戻ってきた3人のそばには、Mr.KINGがいた。あぁ、やっぱりこの6人が好きだなって思わざるを得なかった。岩橋さんの誕生日公演、20歳になる日に立ち会えて最高に幸せだった。その日翌年のJr.祭りが発表された。Princeの名前がMr.KINGのすぐ下にあること、それすら嬉しくてたまらなかった。

 

2017年

春。ジャニーズJr.祭り。とにかく楽しかった。Prince Princessの2番を泣くほど喜んだ。デビューしてほしいと願いながら、ずっとこのまま仲間みんなと笑い合ってる岩橋さんを見ていたいとすら感じた。一番怖かったのは、KINGに置いていかれることだった。どう考えても多すぎるうちわと写真を買った。Princeのグッズは売れないって思われることに比べたら、財布の中が空っぽになるくらいどうってことなかった。そんな馬鹿みたいなこと考えてる時、Princeはここで「一生アイドル」を誓ってくれて、それだけでもう充分だった(SSAの祭りは色々ありすぎて、あの場に居合わせたことをある意味誇りに思う)。

大運動会、去年のリベンジを果たした岩橋さんは優秀選手賞を獲って、月刊ジャイアンツで連載を持つアイドルとして最高の結果を出してくれた。

この頃3人が「グループにこだわらない」とインタビューで述べた雑誌が発売された。

夏。PrinceがEXシアターで最初で最後の単独公演をした。後にも先にもこのコンサートを超えるコンサートは無いと、私は思う。最高のセットリスト、3人と観客が確実に一つになって、PrinceとPrincessの世界を作り上げたコンサート。どう考えてもグループにこだわってるじゃん!って笑った。この3人の描いた未来にたどり着くまで、絶対にその未来を見ると心に決めた。

約1ヶ月後のキンプリHiB公演、初めてMIXTUREを見た時EXが割れるくらいの歓声があの場を包んでいて「あ、最強ってこのことか」と思った。同時に、夏祭りサポーターである3組とそうでないPrinceという現実を目の当たりにする度、なんでそこに入れてもらえなかったんだろうって悔しさを感じた。

秋。念願の写真集発売が決まった。

岸くんの誕生日も神ちゃんの誕生日も、主役の2人より嬉しそうにお祝いする岩橋さんが可愛くてこっちまで笑顔になった。

写真集の宣伝で出たPON!、ほぼ冬の汐留はすごく寒かったけど3人をほんの一瞬見ただけで来てよかったって思えた。

冬。プリンスホテル、これがPrince最後の単独ライブとなった。もうあの規模でライブする事なんてないだろうな。会場に居る一人一人と目を合わせようとする3人は正真正銘のPrinceだった。

 

 

 

2018年

そして運命の日。今まで散々「今日こそあるんじゃないか」って期待と怯えみたいな日がいくつもあって、でも一向にその時は来なくて「今度こそ...いや、んな訳ないか〜!現場の発表かな〜?」って思ってたら突然やって来た。

(スタートラインに立った日。 - イケメンが好きな訳じゃない、きっと)

 

デビュー発表から2週間でFC発足という仕事の早さから一転、1ヶ月音沙汰がなく「えっ?あれ現実だったよね?え???」となっていた所に舞い込んだイベント招集。「どうせ当たらんやろ〜」って思う時に限って当たるのってなんですかね?驚きと嬉しさで電話越しに岸担と爆笑したことを思い出す。(就活真っ只中だった私、本当はイベントの日も抽選だった企業質問会が当たっていたけど、秒で蹴りました♡)(良い子はマネしないで)

 

そこで初披露されたのが、シンデレラガール。

メンバーのパートも口ずさむ姿とか、感情込めて丁寧に踊るところとか、よく知ってる岩橋さんがいっぱい居るのに、いつもよりもっともっと輝いて見えて、デビューの凄さを改めて感じた。

 

自分たちのショップ、メンバー出演ドラマの主題歌、デビュー日の決定。

これまで欲しくて堪らなかった物が一気に手に入った気がして、これ以上の幸せって無いんじゃないかと思った。

 

 

デビューまで。CDの予約は山ほどしたし、就活とバイトでどれだけ疲れていても、テレビに出る6人を見れば実感が湧いてドキドキワクワクした。それと同時に、"Prince"が無くなることが寂しかった。本当に心から3人のことが大好きだったから。これからずっと一緒に居られることに変わりはないのに、"Prince"というグループは終わってしまう事実が怖くて仕方なかった。

 

それでもやっぱり、CDデビューが嬉しかった。

信じて応援してくれてるファンのためにも、デビューはしたいと思っています!

デビューが決まる直前の雑誌でこう答えた岩橋さんの気持ちを思えば、喜ぶ以外の選択肢はなかった。ファンを振り回したくないと、あまり将来の事を口にしてこなかった岩橋さんの、精一杯の願いが叶ったんだって、やっぱりこんなに嬉しいことはないって思った。

実際、キンプリのピンクの子って注目される度に「私はずっと先にこの人の魅力に気付いてたんだぞ!」って鼻が高かったし、もっと知ってもらって、岩橋さんの「世界中の人を歌と踊りで幸せにしたい」って夢が叶うようにって思ってた。デビューコンサートだって楽しくて、つい1年前まで居た場所よりも何倍も大きいところで、ずっと沢山のファンに囲まれてる6人の姿に感動したりした。

 

でも、夢はそう長くは続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

今考えれば、活動休止する前から違和感は始まっていた。

ぴょんきち on Twitter: "ず~っとひっかかってたけど、自分を他のメンバーを輝かせる役とか、2軍だとか言いますが、私にとってはいつだってセンターでかけがえのないたった一人の一番好きなアイドルなのにそんなに卑下してどうするの?応援してるこちらも侮辱してるの?って考えてしまうんだよ~!!"

ぴょんきち on Twitter: "そんなつもり微塵も無いだろうしもっと頑張りたい、頑張らなきゃという気持ちの現れだろうけど、そうやって自分の価値を自ら落とすことで現状から逃げてるように私には見えてしまって、凄く悔しい。それは謙遜じゃなくて卑屈になってるだけだよ。もっと自分を大事にしても良いんじゃないかな……"

 

ステージのどこに居てもファンにとっては自分の立ち位置がセンター。その事を知ってるはずの岩橋さんが。なんで?どうして?って悲しかった。

生披露したZIP!でのMemorial。こんなに振りが遅れるなんて絶対おかしいって思った。

一向に更新されないブログ。ショックは怒りに変わっていった。

あ〜、なんて私は愚かだったんだろう。自分が求められてる事、それに応えるために出来る事必要な事はなんだろうって考えすぎてしまう岩橋さんが、常に完璧を求めたがる岩橋さんの心が窮屈になってしまってたって、少し考えれば分かったんじゃないか。

一生懸命ポジティブに転換していたけれど、私たちに見えないところでは心無い言葉にどれくらい傷ついてたんだろうって、どうして想像できなかったのか。

 

 

 

私がそんなこと考えられたとして。勝手に岩橋さんに見えないところで優しい言葉を呟いたとして。それが何にもならないって知ってます。でも悔しかった。

デビューする前は番組に感想を届けよう、このランキングに絶対入れよう、次に繋がるためにって行動して、結果が伴う事もあって、岩橋さんはいつも沢山のありがとうを伝えてくれて、自分の、ファンとしての存在意義を感じてました。

活動休止が発表された時、せっかくデビューしたのに、思うように活動することができない岩橋さんの悔しさとかを、私はどうしてあげる事もできないんだって無力さに気づいて、絶望した。今まで岩橋さんの力になれてるって思い上がってた自分にも気づいて、絶望したのです。

力になってるつもりだったけど、力をもらっているだけだったことにやっと気づきました。

思い返せば、岩橋さんはいつでもファンを信じてくれて、守ろうとしてくれていた。

 

最後のJr.大賞。前人未踏の5連覇を果たす前の誌面でたった一言、「信じてます」の言葉が嬉しかった。自分を愛してくれる人を愛し続ける、幸せにする、そう言ってくれる岩橋さんの愛によって、いちファンとして心が満たされていた。

 

 

今、岩橋さんに関する情報がほぼ0に等しい中で、私にできることはなんでしょうか。

 

いつも、ちゃんとご飯食べてるか、眠れているか、楽しいことがあるか、そうやって岩橋さんのことを考えてます。それくらいしかできないから。

そうやって考えることで、ずっと待ってるよって伝わればいいなって願うことしかできなくて、ごめんなさい。

でも、岩橋さんが壁にぶつかった時「待ってくれてるファンの人がいるなら頑張らなきゃって思いに変わって、なんとか乗りこえられた」って言ってくれた事を信じて、もう一度思い上がるなら、これが今の私にできる最大限の応援だと思うんです。

 

そう前向きに考えさせてくれるのが、King & Princeのメンバーの存在でした。

時にはみんなの活躍に嫉妬することもあります。でも5人が岩橋さんを想ってくれてることはちゃんと伝わってくるから、この5人が待ってる限りは一緒に待つと決めました。

 

 

急がなくていいから 慌てなくていい

ずっと待ってるから 任せろ 守っておくから

 

 

またみんなと笑い合う岩橋さんが見れる日を願って、今日も世界一のアイドルを想います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ながーーーーーーーい!

散々長く重く綴りましたが、とにかく私は岩橋さん!あなたに出会えて!幸せです!!

ありがとう!出会ってから今日まで、1秒もあなたを想わない瞬間はありません!!

そしてここまで読んでくださった超貴重なあなた!お付き合いいただきありがとうございます!一緒に岩橋さんを愛でて、幸せになりましょう!!!!

 

 

 

以上、担降りブログ(?)でした!!!!!!